鉄拳攻略コラム『最良の結果を出そうとしない』

試合をする上で、最良の結果。すなわち、勝利を目指すこと。

これは、至極当然のことです。

コンボ練習してるのも、キャラ対策してるのも、確定反撃練習してるのも、全ては勝利のため。

勝てなかった相手に勝てるようになったときや、これまでよりも高い段位に上がれるようになったときには成長や喜びを感じ、それは自分の腕次第という格闘ゲームの醍醐味であるとも言えるでしょう。

しかし、勝利が自分の実力を確認できる手段であるが故に、「勝利に固執してしまう」という現象に陥ることがあります。これにハマると、以下のような状況が発生します。

  • 勝ちに急ぐ結果、KO間際の読み合いが単純になる。結果。逆転負けが多くなる。
  • 過程よりも結果を重視するため、試合の反省が十分にできず、徐々に負けが多くなる。
  • 負けが続くとやる気がなくなり、無謀な選択肢を打ってしまう。結果、さらに勝てなくなる。

最終的には勝利を目指しているものの、勝利にこだわり過ぎてしまうと、勝利から遠ざかってしまう。

不思議なものですがよくある話で、こだわらない時に勝ちを拾うことがある。例えば負けようとしたジャンケンが何故か勝ってしまう…という経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。

じゃあ、負けようとすればいいのか?というと、結局それも「勝つことを目的として負けようとしている」ことになるため、本質的には変わっていません。

端的に言えば「こだわりすぎない」。もっと突っ込んでいえば、「勝ち負けにとらわれない心」になること。冷静に試合を俯瞰できる立場であれば、問題点も見えるし修正もしやすくなります。

そもそも、試合の勝敗というのはコントロールできるものなのでしょうか。

私の鉄拳7のオンライン勝率を見てみたところ、「54.0%」でした。

私自身の実力の問題もありますが、だいたい五分五分だということです。どっちに転ぶかわからない。

自分一人でプラクティスをしているのではなく、相手がいて初めて試合が成り立ちます。相手も試合の中で様々なことを考え、行動し、またそれも変化してくる。

それを完璧にコントロールすることなどできるのでしょうか。少なくとも私の場合は、コントロールできないのでこの勝率です。

コントロールできないものにこだわる…というのはかなり大変な作業です。それは、他人を自分の思い通りに変えようとすることに似ています。

ここで、以前読んだウメハラ氏の本に書いてあったことを思い出しました。

それは、「腹が立ったり納得がいかないときには自然現象だと思うことにしている」という一節。

ルールギリギリのことをやってきたり、おかしいことを言ってくる相手に対して、でも結局は他人をコントロールできないのだから、雨が降るのと同じように自然現象だと思っておいた方が良い、という内容でした。

私もこの考え方には賛成です。

もちろん、試合の中でベストは尽くす。でも、相手があることなので必ずしも勝てるとは限らない。自分が描いた戦術があっても、相手はその上を考えているかもしれない。毎回思い通りにコントロールして勝つことは難しい。コントロールできないのだから、自然現象だと捉えても良い。

この境地になれば、対戦動画を観るように対戦できるようになるのではないでしょうか。ただ単に、試合がどう転ぶのかを楽しんでいるだけ。自分の現在の実力でやれることをやるだけ。もちろん自分のキャラクターを応援しますが、究極的に言えば、試合が楽しめれば勝ち負けはどちらでも良い…。

それは、先ほど書いた「勝ち負けにとらわれない心」と言えるかもしれません。

もし、お互いがそんな気持ちで対戦できるようになったら、それって最高に楽しい対戦だと思いませんか。

しかもそれって、友達同士とか仲間内でワイワイ鉄拳楽しんでる感覚に似ていませんか。

顔の見えないオンラインでもそんな対戦ができたら最高だなと私は思っていますし、日々の対戦の中でこれを目指しているつもりです。

俗世間に生きてますのでやっぱり勝ちに固執しそうになりますけどね。まだまだ修行中の身ですが、鉄拳という一つの勝負事を通して本質的な成長を見出していきたい、というのがここまで鉄拳やってきた私が感じている所です。

ではでは。

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