鉄拳が強くなるまで(あぽーさんの昔話)part2

前回の記事の続きです。[前回の記事はコチラ]

鉄拳タッグトーナメント

歴代の鉄拳の中でも最高峰と言っても過言ではない名作。鉄拳3で完成した骨格をベースにタッグシステムという新たな要素を取り込れ、キャラチェンジやタッグコンボによる戦術の深みが二重にも三重にも増し、飛躍的に面白くなりました。

オープニング曲とかちょっと聴いただけでも当時を知る人間には込み上げるものがあるのではないでしょうか。…といってもTTT2で使われましたけど。

ということでYouTubeからのリンクを張っておきます。懐かしいなあ。

この頃から高校生になって行動半径が広がり、積極的にゲームセンターでプレイするようになります。二人用対戦格闘ゲームとしての売り上げ本数の世界記録は鉄拳3が持っているようですが、鉄拳タッグの頃はどこのゲームセンターにもいつも人がいて、非常に盛り上がっていました。

ちなみにチェンジシステムについて、例えば風神拳で浮かせたのにチェンジして画面外に逃げていくという動きは、当時の開発陣からしたら「これ笑えるわ」という要素でしかなかったようです。ここまでヒットしたのは計算外というのを何かの記事で読んだことがあります。

最大のきっかけ

そして、鉄拳をやり込む最大のきっかけがこの時期に起こります。

当時はインターネットが世の中に普及し始めた頃で、ホームページ制作というものが流行っていました。

子供の頃からパソコンに触れる機会があったため、「ぼくもホームページ作りたい!」と思ったのはとても自然なことでした。書籍を読んだりツールを使ったりしながら、ホームページの制作を始めます。

何かを書くからには、テーマを絞ろう。何にするか。そうだ、鉄拳のコンボ研究が面白いから、鉄拳のコンボを紹介するホームページにしよう。ホームページの名前は「鉄拳コンボの世界」。このサイトの作成がまさに鉄拳の世界に深く踏み入れるきっかけとなります。

Yahoo!掲載で波に乗る

ホームページを作成し、アクセスカウンターなどを配置するもアクセスは日に2~3人という程度。

今ではほっとけばGoogleが勝手にクロールして皆がGoogle検索して飛んできますが、Googleは当時設立したてで世の中に認知されていません。ほとんどの人は「Yahoo!」です。

そこでひとまずYahoo!への掲載申請を上げることにします。

Yahoo!は検索エンジンであると同時に、カテゴリごとにホームページへのリンクをまとめているサイトでした。ここに掲載されているということは、Yahooが内容を認めており一定以上のクオリティが担保されることが証明されます。

このYahoo!への掲載が行われた瞬間にアクセス量が激増。
といっても1日50人くらいだったのですが、1日2~3人だったことを考えると、もはや別世界。設置していた掲示板には様々な人が訪れ、コミュニケーションが一気に活性化しました。

最盛期には1日200人くらい来ていましたので、当時のインターネット環境から考えると、このニッチなジャンルの中では賑わっていた方…ではないかと思います。比較対象がないのでわかりませんが。

テケナーと会う

鉄拳をプレイする人をテケナーと呼ぶものと認識していますが、テケナーって最近聞きませんね。死語か?

ホームページにより同じゲームやってる人のコミュニティができてくると、自然と「オフ会しましょう」なんていう話が出てきます。

初めて「ゲームをきっかけに友達ができた」ことでもあり、初めて「鉄拳をやり込んでる人と対戦した」ことでもありました。

この時点ではいわゆる立ち回りとか、キャラ対策とか、勝つための方法論みたいなものは皆無でした。フレーム知識もなし。
とにかくコンボが大好きで、実戦でそれが決まったら楽しいね!みたいなエンジョイ鉄拳。オフ会でも「他の人の方が強いのが当たり前」という状況でした。

つまりこの時点ではまだまだ超絶なパンピーで、強さを実感してくるのはもうちょっと先の話になります。それでも当時鉄拳の聖地と呼ばれていた新宿プレイマックスに顔を出すなど、鉄拳というコミュニティに少しずつ興味を持ち始めた時期でした。

余談ですが、当時最大の衝撃を受けたのがKYSG(空中遊戯専門学校)様のサイトでした。鉄拳タッグには「空中でうつ伏せ状態の相手に低い位置で技を当てると受け身不能になる」というテクニックがあり、これを利用して複数回タッグチェンジするコンボを作り上げるなど、高等テクニックが満載でした。自身もコンボを載せるサイトを運営していましたが次元が異なり、自分の中でコンボの捉え方に対するイノベーションが起きたのを覚えています。

鉄拳4

鉄拳タッグのヒットを受けて多額の開発費を携え(?)、満を持して登場した正式ナンバリングタイトル。

壁システムの導入、ステージの高低差あり、横歩きの実装、ラウンド開始前に動ける、ジャスト入力技の存在、左投げをポジションチェンジにする、など多くの新要素を取り入れ非常に挑戦的だった作品。風神拳がノーマルヒットで浮かないシリーズ唯一の作品でもあります。

吉光についてはブレードのダメージが0で、その時に相手が打っていた技をコピーするというトンデモ性能。何をコピーするかが全くもって予想がつかないのと、返し技としてダメージを取れないため、吉光のキャラランクは地を這っていました。

システムを刷新して大航海に打って出たタイトルですが、世間の荒波にさらされて大破することとなります。

一部のキャラクター(特に仁)が強すぎることや、無限コンボの存在であったり、コンボの爽快感がないことが主な原因で、稼働後期の頃はゲームセンターに全く人がいませんでした。

コンボの爽快感のなさを例として挙げると、吉光のメインコンボが浮かし>LP>卍葛1発>鬼薊2発(叩き付け)>斬哭剣。補正の関係で叩き付けた方が減ってる。そんなキャラが多く、総じて地味でした。

多くの要素は以降の作品で撤廃されましたが、残ったものは現在のシステムにうまく昇華されていおり、不遇でしたがその冒険で得たものも大いにあったと言えるでしょう。

人気がないのにやり込む

そんな鉄拳4ですが、個人的にはかなりやり込んだ作品になります。世間の人気は関係なく、一緒にやる友達がいたからというのは大きいですが、ゲームを極める・試合に勝つという視点で初めてやり込んだ作品。フレーム知識などを得たのもこの頃になります。

なんと言っても一緒にやってる友達(これもホームページつながり)が強くて全然勝てなかったので、フレーム攻略本を読み、強い行動や強い戦術を考えるようになりました。

「自分がなかなか勝てない相手と対戦する」。これは強くなるための第一歩でしょう。

この頃は時間もあって、一度集まるとタイマンで100試合とか平気でやっていたので、単純に数をこなす中でコンボ、確定反撃、レバテクなどなどの経験値を積むこともできたのは大きいでしょう。そのうちpart1に出てきたジャギとは勝負にならなくなり、鉄拳好きの一般人からやり込み勢に変わりました。

普段ゲーセンに行っても人がいないので、夜な夜な鉄拳する集会に参加したり、結構ディープな部分まで首を突っ込んでいました。

別れの時期

しかし、そんな鉄拳4とも別れの時期が訪れます。

高校卒業後の進学を機に、私は北海道に行くことになりました。
北海道といっても広いわけですが、都市部ではなく、人口10万人ほどの規模の比較的小さな街に引っ越すことに。

ゲームセンターは片手で指が余るほどしかない。遠いので歩いて通えない。免許も車もない。電車は1時間に1本来るか来ないか。あとはバスしかない。

しかも、都心でもやってる人が少ない鉄拳4をやってる人なんているわけがない。

なので、これを機に鉄拳はやめよう。本気でそう思っていました。引越しの際にゲーム機も処分し、新しい人生を送るつもりでいました。

ところが、この北海道への渡北が鉄拳プレイヤーとしてのさらなる成長を促すことになろうとは…この時は思いもよらないのでした。

続きます。

4件のコメント

「鉄拳強い人は一体何を食って育ったのか?」的なことに興味があるので、更新楽しみにしてます!
KYSGの皆さんのテキスト…特に机上鉄拳の記事なんぞは
今も鉄拳のシステムを解釈して行く上でのお手本にしてますね

ありがとうございますー。何を食って育ったのか、ですかw北海道ではじゃがいもと鮭ばっかりですw
たしかに、テキストのクオリティも目ん玉飛び出るほど高かったですねー。

かつて(DRのとき)北海道で何度か対戦した者です。
都市部である札幌以外でこんなにつよくなれるのか…!
と当時は衝撃を受けたものでした。
どのようにしてあれだけつよくなれたのか興味津々なので、
この記事の続きを楽しみにしております。

いけがみさん!?まさかの…その節はありがとうございました。当時、あの人やべーつえーと会話しながら札幌通ってました。
ありがとうございます!拙筆ですがまた書きたいと思います。

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